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作曲家アルバン・ベルク2/2
貴方にとってのウィーンとは? 人それぞれに違った答が戻って来るはず。この多彩なイメージ。中でも世紀末のこの街が醸し出した独特の芸術は、今も人を魅了して止まない。
クリスマスがやってくる12月。イヴの日、50歳で亡くなってしまったA・ベルク。個人的ながら私にはどうしてもウィーン=ベルクと分かち難く結びついてしまっている。
医者であったG・ビュヒナー未完の戯曲を見てより、即座に音楽化を決心した彼は「ヴォツェック」を、自らの台本によって作曲する。師のシェーンベルクがベルクの初期の楽譜を観て、既に≪音楽が言葉になっている≫と才能を評したほどだ。オペラでは、自身が戦争に赴いた時の兵舎での体験や悩まされた心因症のモティーフが独自の個性を持って取られ、随所にウィーンのニュアンスを織り混ぜつつ、ぐんぐん引き込んでゆく。心の深層部を突くオーケストレーションから立ち昇る妖気。全幕1時間半に凝縮され、その作曲技法・場面展開の見事さには驚嘆させられる。-これが80年も前に初演されたとは-。
歴史的にも、サラエボ事件によって爆発した民族の動きがあり、過去の爛熟した文化・芸術の終焉のときでもある。時代の濃い影を放ちつつ孕んで来た物がここに至って、音楽的にも「ヴォツェック」により一挙に弾け飛んだ感がある。同時代のフロイトの潜在意識の研究とも重なる、オペラ史上、最高傑作の一つ。
ウィーン13区は、今でも緑の多い落ち着いたところでこのオペラはそのトラウトマンスドルフガッセ27番地で書き上げられる。居間には、当時使っていた家具調度品が置かれ、修復後もここは雰囲気が失せておらず生きた感じが残っている(現在は、A・ベルク財団事務所、電話予約で見学可能)。夫婦は近くのヒーツィンガー墓地にひっそりと眠る(奥の49地区)。
過去の栄光と惨めな二つの世界大戦を通じて連綿として流れて来た、この街特有の〈夢と現実〉。そしてこれからもその豊饒な響きを綾なしながらウィーンはどこへ向かってゆくのだろう。