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作曲家スメタナ、隠遁の地ヤプケニーチェ
赤・橙・黄色に染まった葉が、微妙な濃淡のハーモニーを繰り展げながら秋は深まってゆく。その光の陰影には、一期の命が奏でられているようだ。
難聴と言うと、ベートーヴェンが思い浮かぶけれども、10年の間、音の無い世界にいたベドルジハ・スメタナも忘れられない存在。それも名声を十分得た後の、50歳を過ぎてからでは鬱状態に陥っても無理からぬ話で、精神錯乱の後,亡くなった5月12日は、毎年<プラハの春>音楽祭開幕の日に当たり、交響詩「我が祖国」により始まる。
そのような彼の晩年での心境が思われて、この名曲が作られた、隠遁の地ヤプケニーチェを10月に訪れた。次々と子どもを失う過去の不幸や、世間からの批判を背に、娘婿の所有する館へと移り住む。そこはプラハより北方へと、ローカルバスで一回乗り換えての2時間弱ほどの所にある小さな村だった。現在、館内では資料が増えて、スメタナ本人や彼の子どもが描いた絵も展示されており、その神経質そうな筆跡は、彼のスケッチや手紙の文字、楽譜の書き方とも全く共通していた。書斎も再現されていて、窓からは秋の光にゆらめく細い葉の影が机にかかり、何かしら一抹の寂しさも覚えた。
4年前にもここを訪れたことがあった。その折には改装中であったけれど、部屋も古くて、調度品など何も無かった頃の方がなぜか、かつては人が住んでいた、という気配がより感じられたものだった。これは残念ながら、世に名を残した作曲家や画家の、元住居であって現在は博物館となっている建物においては同傾向が否めない。
この館より、前方へ歩いて5分ほどの所には、広々とした森林と大きな池があり、そこでは親子連れの白鳥がのびのびと泳いでいた。「我が祖国」は、こんな中で作曲される。
同じく耳が不自由で、楽想を練りながら歩いていたベートーヴェンとは、何か異質なものを感じながら、この森を散策してみた。ベートーヴェンは子ども時代から難聴と共に、精神的にも成長して来た。けれどスメタナは、尋常な耳から、亡くなる10年前よりこのような世界に放り込まれてしまった。
優雅な1曲目<ヴィシェフラッド>は、その土地名にも関係のある、伝説の女王リブシェを思い出させ、有名な2曲目<ヴルタヴァ>へとつながる。4曲目<ベーメンの草原と森から>に思いを馳せると、池のさざ波は夕陽に美しくきらめいていた。森の光と音の影は、同様に民族の心でもあり、4曲目中には、その願いが込められている。ーチェコ人の命は音楽の中にーという彼の主張があり、民族意識を高めてゆき、それを表現する事がスメタナの生きる喜びであり、支えでもあった。
その土地から生まれた力と愛。悲哀が織り込まれ、繰り返されて来た人の命。作曲家の人生は元より、是非、このドラマ溢れるチェコの歴史も知ってほしい。