ウィーン観光情報武田倫子の 「行った・見た・聴いた」青山光子

青山光子

 一人の中に多様な性格を含む人間。

「それを描写するのは難しい。何が表面に現れ、何が潜在したままであるかは 運命によって左右される」。

 母を評した、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの言葉。現在のEUの基と も言える、パン・ヨーロッパ連盟を結成した人として名高い。その母、青山光子。 一度も祖国に帰る事なく没したミツは、此の地で何を思い、何を心の糧として 生きていたのだろうか。

 夫が領主を相続した、ロンスペルクの館は現在チェコ領。ウイーンより列車で 2回乗り換えて、7時間かかる所に位置している。電話連絡してあったカホウト 氏が 修復中の館内を案内して下さる。かつては軍に占領されたり、工場にも 使われた事すらあったそうが、当時の台所,居間、家族の礼拝堂等、幾重にも 曲がり続く階段の多い部屋には、昔日の面影が残り,僅かながらも、人間たちが 生活していた匂いが感じられた。最上階のミツの部屋は、日本人有志の寄付 により、きれいに直されつつあって、画期的な事でありながらも、一方では当時 の雰囲気が失せてしまうのは否めず、やや矛盾した気持ちにもなって来る。この 辺りは、今でも人里はなれた寂しい感じのする所だった。

 32歳で未亡人となり7人の子供を抱えて夫の遺言を守り、介入する親戚を 拒絶した頃から、彼女の本領が発揮されて来る。クラトヴィー古文書館のクレイ チョバ女史のご好意で見せて頂いた、ミツの中年以降の写真では、知られている 従来のたおやかなイメージではなくて、太って断髪。化粧気なしの男眉。一筋縄 ではゆかぬ、たくましささえ感じられた。三女は後に、恐ろしい母であった一面を 書いているが、卒中で倒れてからは次女オルガを離さず、さまざまな状況の中で 頑なになってしまった心境も理解できる思いがした。けれど、若き日々の盛装して 撮られている中であっても ミツは時折、<心、此処にあらず>のような遠い視線 を向けている。彼女は何を想っていたのだろうか。。

 ミツの遺言は叶わず、彼女はウイーンのヒッツィンガー墓地に、夫はこの館から歩 いて15分程の墓地に眠る。ここを訪れた冬の日は,厳寒で霧氷が美しく、遠くの 山々は東山魁夷の描く日本画とも見え、絵が好きでよく描いていたミツが偲ばれた。 「年老いて髪は真白くなりつれど 今なお思うなつかしのふるさと」ーミツの歌。

 <人は美しく老いるのは難しい>と一般には言われるけれど、それでもこの時代に 異郷の地で精一杯生きたミツの生涯に万感の思いが湧き上がって来た。

2005年2月武田倫子