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ドヴォジャークのオペラ「ルサルカ」の池
天が高くなり、光がこぼれ落ちて来るような豊穣な響きとなって、深まる10月。秋風によって爪弾かれるメロディーに乗って、今月は、憂愁の街プラハへお誘い。
アントニーン・ドヴォジャークの生誕地ネラホゼヴェスは、のびやかな土地柄で、ヴルダヴァ川に沿ってあり、生家は現在、博物館になっている。鉄道駅近く宿屋と肉屋を経営していた両親の下、アントニーンも肉職人の修行に出される。苦学しつつコムザーク楽団で、ヴァイオリン奏者として生活を支えながら、作曲に没頭。この時代背景には、ハプスブルクからチェコ独立を願う市民の反乱や、上からの弾圧があり、民族意識が高揚してゆく時でもあった。彼ほど素朴に自国民族の願いに裏打ちされたロマンと情熱を展開していった作曲家も数少ないだろう。出世作「白山の後継者たち」にも、かつてオーストリア軍に敗れたチェコ独立を願う信念が歌われている。
数々の弦楽四重奏曲には、民族性の上にも艶やかな和音が息づき、この秋のゆらめきにも似たヴィオラの音が,芳香となって、心の琴線に響いて来るようだ。
プラハの、国立美術館では、ぜひ同時代の絵画にも注目したい所で、フランスでは、印象派が主流を占めている頃、その頃パリに学びに行った、チェコ出身の画家たちも、後にはその経験を基にさらに個性的に描いていっている。内面より暖かさが発色してゆくような、微妙に変化する彩度に、チェコの深みが感じられる。これがその響きにも表れている、チェコフィルの音色ではないだろうか。
ドヴォジャークも成功してからは、ヴィソカー村に一年の半分ほど住み、ここでは名作「ルサルカ」のオペラが誕生している。インスピレーションをことに大切にした彼は、「花と鳥、神と共に作曲を学んだ」という。プラハからはバスで一回乗り換えて一時間程の所にあり、広大なる敷地内には、比較的小さなその<ルサルカの池>が残っていた。そこで彼は、この台本にある妖精の姿を想像しただろうか。林の中を歩けば、風に乗って木々の間には、その木霊が響きわたり、池近くではその水の精でも飛んでいそうな錯覚に陥って来る。
雨もよいのこの庭で、はらり、ひらり、と典雅に舞う黄葉の中、乳母車に乗せられて赤いベビー服を着た赤ちゃんに、歌をうたってやりながら、お祖母ちゃんがゆっりと通り過ぎて行った。名曲、「母が我に教えし歌」とも重なり、一幅の絵巻を見ていたような思い出となって、私の中に残っている。