ウィーン観光情報武田倫子の 「行った・見た・聴いた」スロヴァキアでの踊りの会

スロヴァキアでの踊りの会

 人間は楽しい時、ひとりでに動いて踊りたくなる。身体を使っての舞踊は、喜びを表現しやすい。どの国にもそれぞれ地方の踊りが、特色豊かに伝えられている。

 2002年11月分にも、登場した、スロヴァキア/シューベルトゆかりの地ジェリェゾフツェの町長、ナジ氏に招いて頂き、翌年の6月末、地元の民族舞踊の祭典に、当地を訪れた。国内の各地方から参加していて、その年で38回目。まず、民族衣装のあでやかさに目を奪われ、続いて踊りのパワーに圧倒された。見ていて楽しいばかりでなく、日頃の練習の成果を披露している若い方々の実力に、こちらの日常生活の疲れなど飛んで行ってしまった。

 もとハンガリー領なので、主にチャールダーシュと、フェルブングという踊りのフォームで構成され、足で地を蹴って強いビート感を出しているのが特徴。ドイツ語のヴェルブング=宣伝・募集に当たる言葉で、18世紀に<募兵>のため、力強いこの踊りがその宣伝に使われたのが出自という。元々は古く、ウクライナ・ルーマニア・チェコ等からも入り、互いに融合されて行ったと考えられている。

 ところで、バイエルンやオーストリア山岳地帯には、<シュープラットラー>といって、飛び跳ねながら、靴底・膝や腿の身体を平手で叩く踊りがある。こちらのヴェルブングは<求愛>を意味し、古くは1030年の「騎士道」にも、原型らしき物が出ていて、中世のミンネゼンガー達(吟遊詩人)も、女性の意を得るために、合わせて踊っていた事もあり、その頃はもっとゆっくりとした表現方法だったらしい。現在の形は、19世紀半ば頃からで、元はペアで踊るものから独立して、男性のみのショー化した形に変化して来た。

 雄々しい大雷鳥が羽を広げた形に例えられて、記録では、その見事な踊りによって敵将から助命されたチロルの男の話も残っている。

 さて、祭典のすべてを取り仕切ったシャンドール氏(当時39歳)は、3人の男児の父親でもあり、「踊りは、何としても次代の子ども達に伝えてゆかなくては」。と積極的姿勢であり、そのためにも「子ども達同士のホームステイで便宜を計り、他の地域とも互いに教え合ったりして交流を活発にしている。と熱心に語って下さった。

 振り返って、我が母国も踊りに限らず<生きた伝承>を、若い世代に担っていって欲しく願う一夜であった。

2003年8月-2009年3月たけだのりこ