ウィーン観光情報武田倫子の 「行った・見た・聴いた」作曲家シューベルト

作曲家シューベルト

 昔、未完成交響楽という映画があったけれど、11月19日はフランツ・シューベルトの命日。ちなんでその音楽会も多くなる。11月末、トーマス・クヴァストフ歌う「白鳥の歌」に期待。曲中「影法師」など作曲家自身、ここまで思ってもみなかったような歌唱ではないだろうか? 映画の方、カロリーネ嬢との悲恋は作り話だが、ほのかな憧れはあったかもしれない。

 シューベルトがこのカロリーネ達の家庭教師をしていた『ジュリェゾフツェ』のエステルハージ家(ハイドンのパトロンであったニコラウスの息子の従兄弟にあたる)を7月初旬、訪ねてみた。

 当時ハンガリー領/現スロヴァキアのこの地では、今でも2つの言葉が話され、顔にも両系統が表れている。

 スロヴァキア文化研究所のご好意により町長ナジ氏と通訳のコンチャロヴァ女史が案内して下さる。旧伯爵家はぼろぼろ・・・。わずかに扉だけ当時のものが残っていた。150mほど東にはフランツの住まい(現博物館)があり、そこでは早朝、隣農家の家畜の啼き声がうるさくて眠れず再び伯爵家に住むことになったとか。広い庭園は荒れているが、当時からの本人が好んだという木も存在し、爽やかな風に葉はそよぎ、小花は揺らいでいた。小綺麗な街の博物館より、さびれている分、当時のイメージが彷彿としてサロンコンサートの息づかいが感じられるような気もする。

 「美しき水車小屋の娘」はこの伯爵家で度々歌われ、友人達の間でも好まれたが、全曲がウィーンで正式に紹介されたのは彼の死後28年経ってからからだった。この曲の1部は梅毒治療のためウィーンで入院中に書かれている。背反する苦しい現実があったからこそ生み出された美しいメロディかもしれない・・・。

 友だちは数多くいたけれど孤独だったフランツ。メランコリーと陽気さが織り混ざるウィーン気質の心の影。さすらい人であった心は自然界からも多くのメロディーを得た。ピアノで表わされた春の雪解けの水は生きる喜びの音? 心の中にぽつりと落ちるのは涙の音? 晩年の作品など聴いていると、この地点まで表現出来たらもう生きる必要はなかったのでは・・・と思わせられることがある。でもそれは決してネガティヴな意味ではなくて。

2002年11月たけだのりこ